どうも、いい人やってた時の自分を思い出すとお尻の穴がキュッとなってしまうせいじ(@seiji_1986)です。
なんちゅーか、その満たされない気持ち、分かります。僕もそうでした
そういった方々の人間関係における傾向として、具体例を上げると
- 他人の気持ちが気になって自分の意見を言えない
- 自尊心が低い
- 人からのお願いを断りきれない
- 何事にも頑張りすぎちゃう
- 反抗期が無かった、または反抗心がない
- 人の悪口や陰口を言わない
こういった内容に見覚えがあるあなたは、間違いなく「いい人」です。きっと周りの人からも「いい人」と言われていることでしょう。
OK、ちょっとここで一言言わして。
それ、褒めてないで。
そう、なまじ言葉の中に「いい」という肯定が入っているだけに、マイナスなイメージが薄く感じられがちですが、この「いい人」という評価は悪魔の言葉です。
今あなたが大多数の人から「いい人」「いいヤツ」なんて言われていたら、もう「いい人」やめちゃいましょう。
それが幸せになれる生き方です。
もくじ
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いい人は「他人に好かれるため」がいつのまにか「他人に嫌われないために」になりがち
「他人に良く思われたい」「誰にでも好かれたい」っていう欲求は誰にでもあります。
こんなこと書いてる僕も、他人の目は気になるし、好かれるものなら全世界70億人に好かれたい。なんだったら動物や魚介類、その辺の草や石にも好かれたいわ
Q1.他人に好かれるためには何をすればいいか?
それは他人が求めているものを差し出せば良い。それは値段の高い物であったり、言葉であったり様々ですが、とにかく求められたものを差し出されて怒る人と言うのは、まずいません。
しかしこれは、よほど他人の心の機微をしっかり読める人間であるか、物欲を満たせる……いわゆる「お金持ち」とかでなければ実現できないですよね。実行するのは難しいということ。
Q2.じゃあ他人に嫌われないためには?
それは自分の意見を言わないことであり、相手を肯定すること。そしてそれが一番簡単であり、誰もがやろうと思えばできることです。
そうするとみんな知らず知らずに安易な道、即ち「嫌われない人間」を目指してしまうんですね。
その結果、確かに「嫌われない人間」にはなれます。
でも、そこまで自分を押し殺して「嫌われない人間」になってみても、とっても虚しいモンなんだと気付きませんか?
何が虚しいって「遊びに誘われない」「他人と感動の共有もできない」「どうでもいい人」「都合のいい人」……要するに「空気みたいな人間」になっちゃうってこと。
え、なんなのこれは
これが俺の目指す理想の俺!?
絶対そうなります。
一方で「いい人」ではない、端的に言うと「賛否両論な人」というのはある方面で激しく嫌われるけど、また別の方面では非常に熱狂的なファンや友人を得る。これは芸能界や宗教の世界だけじゃなくて、一般の人間関係にもいえることだと思います。
人畜無害な人間になって損することはあれど、得することはほとんどないってことですね。我慢してきたのにヒデェ仕打ちやわ
人間関係において満たされない気持ちを抱えている人は、このパターンに陥っていることが多いです。
僕が「いい人」をやめたきっかけ
「自分を出さない」
それだけで「いい人」にも「嫌われない人」にも簡単になれるのは分かってもらえたと思います。
僕自身、以前は他人に嫌われないために「悪口を言わない」だとか「無礼に無礼では返さない」だとかいうマイルールを作ったりもしました。
SNSに何か投稿するときは過激な言葉を控えて、誰が見ても不快に思わないような文章・意見を心がけたりもしてました。
もうね、とにかく窮屈。
だって言ってることや書いてることって、自分の本当の意見じゃないんだもん。自分の言葉じゃないものを褒められても別に嬉しくもなんともないもん。
それでも、「いい人」だとか言われて自分を否定されない平穏はあったので、そこにずっとしがみついて生きてきました。
そんな自分のブレイクポイントになったのはホストを経験した時。ホストって、アレよ、いわゆる夜のお仕事ね
あの世界はとにかく闇が深い!!
ただ「いい人」だっただけの自分では何の成果も出せないし、お客さんの心を全く掴むことができませんでした。そんだけ厳しい目を持った連中のもとに投げ出されてしまったわけです
「オラついた人間がモテる」
そんなのマンガの世界だけの都市伝説だと思ってる人は多いでしょう。でもあの世界は違った
オラついた人間、めっちゃモテる!!
自分の中の一般常識をそっくり丸ごとひっくり返されたような感覚になりました。
あたりまえだけどそのオラオラ野郎どもは、決して「いい人」ではありません。
でも! でも! 間違いなく「嫌われない人」なんかより多くの人の心を掴んでいました。
そんなオラオラ野郎もネットでは「不細工ホストが調子こいてる」とか中傷されていたりもしましたが、実際目の前では多くのお客さんから指名をもらって、ナンバーに入ったりして、いい服を着て、高い家賃の家に住んでいました。
一方で僕のように引っ込み思案というか、当たり障りのない人間関係を築いていた穢れを知らない同僚ホスト達は見た目が良くても全く指名なんかされず、毎日厨房で皿洗いなどの雑用をさせられ、遅くまで働かされているという有様。
ここまでくると鈍感な僕でもさすがに思った
この言い回し、よく聞くけど意外とそれを痛感する機会って少ないと思うんです。でも僕は嫌と言うほどその事実を眼前に叩き込まれました
「いい人は、どうでもいい人」
「言い得て妙」って、こんな感覚なんやな……
その日から僕は「いい人」であろうとすることをやめました。
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いい人をやめるのは「嫌な人」「悪い人」になれというのとは違う
「いい人」をやめて自分らしく生きるためのいい塩梅がわからず、こんな風に自暴自棄になる人もいますが、「いい人であることをやめる」ということは「嫌われる人になる」とイコールではありません。無理にオラつけっちゅー話でもないよ
今まで嫌われないように生きてきた人にはなかなか掴みづらい話かもしれませんが、「人から嫌われる=自分が嫌なヤツ」という図式は間違っています。
これは、アドラー心理学における「課題の分離」というもので、「他人が自分を嫌うかどうかは、他人の課題であり、自分が何か働きかけるべきものではない」と説明されています。
つまり、人の評価なんてそれほどアテになるものでもない主観なうえ、それこそ千差万別だからそこにビクビクして生きるなんて面倒だし時間と労力の無駄だということです。
ならば自分の思う「なりたい自分」を追いかける方が絶対にいいと思います。あなたが目指す理想の自分は「空気みたいな人」「人から気にされない人」ですか? 違うよね
素晴らしい人間でも一部の人からは激しい憎悪を向けられていたりもするし、自分が「嫌なヤツだなー」って思う人間でも、他方面からは「こいつはスゲェよ」と称賛を受けてたりもする。
だったら怖がらず、人の心に爪痕残そうぜ!! ジェノサーイカッター!!
僕が「いい人」をやめた後の変化
今までの習慣をガラっと変えるのは簡単じゃありません。僕もしばらくは色々戸惑いました
だって、昨日までの自分のキャラを180°変えちゃうんだよ? そんなことが簡単にできたらそりゃ病気やわ
最初はとにかく言いたいことを言う時に言葉に詰まったし、人前に出るとぎこちない動きになりました。思っていることを言うのにも勇気が要ったし、嫌なことを断るのも心をすり減らしたりで、罪悪感まで芽生える始末。
でも、そんなことを毎日続けてる間に、だんだん自分が明るくなってきたことに気付きました。慣れってありがたいわ
そこからは毎日がとにかく楽しい!!
友達とケンカして縁を切った。でも、自分の言いたいことを言っての結果だったので、何の後悔もない! むしろスッキリ!
「嫌われないかな?」とビクビクしてた相手に自分の意見をはっきり言ったら、仲良くなった! やったー!
彼女できた! 結婚できた! うおおおおおおおおおおおおお!!!
自分の人付き合いに初めてメリハリがつきました。
ただ自分のままでいればいい。
自分が分からなければ、他人に忌憚のない意見を聞け。
自分を裸にしろ。自分の弱いところをさらけ出して、強くなるための材料にしろ。
Googleの検索ワードが膨大なのは、人の思いの多様性を示しているから。その自分を「面白い!」だったり「好き!」って思う人は必ずいます。
そんな自分を大切にすれば、人を大切にする余裕も出てきます。
そうすると、結果として人に好かれる。人に「嫌われない」じゃなくて、人に「好かれる」。
そんで、気分はどう? って……
最高だよ!!!!
この人に好かれてるのも俺!!
この人に嫌われてるのも俺!!
俺、その人の中にちゃんと存在してる!!
空気のような人間が、固体になった瞬間でした。
「いい人」と呼ばれながらも自分の人間関係に少しでも疑問を覚えた人は、少しだけでもいいので自分という存在を大事にしてみてください。僕は幸福追求のために生きるのが人間なんだから、少しくらい自分勝手でもいいと思ってます。
特に職場なんかで自分が出せず、窮屈な思いをしてる人はせめてオフの時だけでも「いい人」であることをやめてみましょう。きっと生きるのが楽になって、新しい自分と出会えるはず!
そんな話です。
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