【後半ネタバレあり】映画『ジョーカー』の感想を社会人目線で語る

映画『ジョーカー』
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話題の映画は必ず遅めに観るぜ!

どうも、せいじ(@seiji_1986)です。

いやー、ずっと前から観よう観ようと思ってた『ジョーカー』をやっと観ました。

ちゅーわけで、ササッと映画レビュースタート!

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『ジョーカー』あらすじ

1981年、財政難で荒廃の一途を辿るゴッサム・シティの中でコメディアンを夢見る中年大道芸人のアーサー・フレック

彼は日に7種類もの精神安定薬を服用し、「発作的に笑いが止まらなくなる」という精神病の一種も抱えており、社会的に疎まれる存在であった。

そんなアーサーの唯一の楽しみは、同居する母と共に観る「マレー・フランクリン・ショー」というコメディ番組であり、司会者を務めるマレーはアーサーの心の師であり、憧れだった。

しかしある日、横暴な同僚から半ば強引に持たされたリボルバー銃を大道芸の慰問中に観客の前に落としてしまい、それがきっかけで所属していた大道芸の事務所を解雇されてしまう。

失意の中、地下鉄で帰宅するアーサーだったが、帰り道にウェイン産業の証券マン三人組に発作が原因で絡まれ暴行を受けた際、流れで同僚の銃を使い三人を射殺。

初めて人を殺してしまったアーサーであったが、罪の意識よりも何か晴れやかな気持ちが彼を包んでいた。

そんな折に、アーサーが参加するコメディショーのライブ映像を見たマレーは、自分を引き立てる「笑いもの」にするためにアーサーを自分の番組に招待する。

世間に認められず、挙句は憧れていたマレーに嘲笑の対象として見られていたことに気づいたアーサーの中には「ジョーカー」という混沌が現れ始めたのだった……

『ジョーカー』の見どころ

この映画の見どころは、アーサーという気の弱い人間がいかにしてあの悪のカリスマへと変貌していったのか? 今までファンの目に触れてこなかった、生々しくも所帯じみた彼の一面です。

そして、その脇で繰り広げられる人間模様も、情報過多な現代社会に生きるからこそ色々と考えさせられるものがあり、共感性羞恥をビンビンに刺激されるシーンが多いのもこの映画の特徴。

徐々に変化するアーサーの「怒り」

この物語の主人公であるアーサー(ジョーカー)は、精神病を患ったドンくさいおっさんです。

もうね、マジでドンくさい。実際臭いもヤバそうな見た目やし

しかしドンくさいがゆえに、それほど高度な思考や主義主張があるわけでもなく、最初のうちに彼の中に沸く怒りは「あのクソガキ共め!」とか「ちくしょう! 俺が何したってんだ!」というような、日本社会でもよくあるボヤき程度です。

しかし、自分を取り巻く環境、そしてそれ起因する不幸が、彼の怒りを徐々に狂気を帯びたものに変えていき、やがてそれは明確な「殺意」として自分を不幸にした人間に向けられます。

「人はどこまで不条理に耐えられるのか?」という目に見えないしきい値が、ホアキン・フェニックスの怪演でほんの少し可視化されるのは、緊張感満点!

扇動される民衆の浅はかさ

財政難にあえぐゴッサム・シティの市民は、基本的に愚者の象徴として描かれています。

小さな喧嘩で自分に火の粉が飛べば、これが機会だといわんばかりに暴れまわり、自分を蔑む富裕層に対する怒りをぶつける後ろ盾(ジョーカー)が現れれば、それに呼応して暴動を起こし破壊を繰り返す。

それは発端である「声が大きい人間」だけでなく、無垢な市民騒ぎたいだけのバカな人間にも伝染し、街を侵す。

もうね、総市民バ化現象がこの映画の随所にちりばめられてます。

でも、これがあるべき市民の姿なのかもしれません。

賢いだけで主義主張が異なる人間が集まり、何事も膠着状態で話が進まず、緩やかに衰退する文明文化よりは、脳筋人間が力づくで権力をねじ伏せ、新陳代謝よく物事を収めていくほうが良いのかも。実際の歴史にも革命やクーデターってたくさんあるよね

作中で不気味なピエロの面を被ってデモに参加する市民を見ていると、何が正しいのか分からなくなって思考がぐわんぐわんする快感と不快感の練り物みたいな気持ちが味わえます。

誰もがジョーカーになる可能性を秘めている

映画が持つメッセージとしてはわりと月並みなものではあるんですが、こんなとこじゃないかと。

作中次々と不幸に見舞われるアーサーですが、正直人によっては「え、そんなんで闇落ちすんの?」なシーンもあるかもしれません。

しかし、「え、そんなんで」という人も、その身にどれくらいの不幸をブチ込まれたら闇落ちするかなんてわかりません。

つまりは、アーサーは耐えられる不幸の器がたまたまこれくらいで、それがたまたまあふれたことで悪のカリスマ・ジョーカーになっちゃったというだけですね。

そう、これは必然のジョーカー映画ではなく、たまたまの出来事映画なんです。タマタマ天国です

そんな気持ちでこの作品を観賞すると、「自分目線で他人を断じる」ことの危険性に気づくことがあるかもしれません。

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『ジョーカー』の感想(ネタバレあり)

この先は物語の核心に触れたり細かな描写に言及する記述があります。

ネタバレが嫌な方はここで一旦読むのをやめて、視聴後にまた続きを読んでみてください!

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現実と妄想の境目分からなすぎ問題

この物語、作品自体がアーサーの主観なのか、はたまた「カメラ」という真実のフィルターを通した記録であるのかが明言されていないので分からないことが多すぎです。

アーサーと同じアパートの別の階に暮らす女性・ソフィーは途中アーサーと仲睦まじく話し、歩いているシーンがありますが、アーサーが闇落ちしてソフィーの部屋に入った際ソフィーは「あなた、部屋間違えてるわよ」とめちゃくちゃ怯えています。

一見するとソフィーと同じエレベーターで軽く言葉を交わしたくらいまでが現実で、あとは全てアーサーの妄想とも思えちゃったりするんですが、そう考えだすとそもそも憧れのマレーの番組に呼ばれた電話自体妄想に思えてきます。

え、なんなのこれは

ヤバイ、今俺の隣で一緒にこの映画見てる嫁ってもしかして妄想……? ぎゃはは

そんな冗談はおいといて、この映画のシームレスな描写は見ているうちにどんどん境目が分からなくなってきます。

ただ、これはこれで映画を観た他の人と意見交換ができて面白いよね。

アーサーとジョーカーが結び付かない問題

僕の中でジョーカーって「表面上はおどけていても、心の中には驚くほど狡猾でドス黒い思考が渦巻くスーパーヴィラン」っていうイメージだったんですが、作中のアーサーはどう見てもドンくさい卑屈な中年。

もうね、「自分を野原ひろしだと思い込んでいる一般人」とまんま同じノリでビックリ。

自分を野原ひろしだと思い込んでいる一般人

何? 冴えない男が頭殴られまくったショックでスゲエ犯罪の才能に目覚めちゃったみたいなアレ?

そんなアホアホマンみたいな展開だったのかよ!!!!

アホアホマン

まさか途中でアーサーは死んでて、マジもんのジョーカーと入れ替わってたりして……

個人的にはもっと「深みのない悪」が良かった問題

これに関しては完全に僕の好き嫌いであり、この映画自体否定しかねない話なんですが……

ジョーカーは、ひたすらヤベーやつであってほしかった!!

わかる? わかる? この気持ち

基本ヴィランって得体の知れない思考とか、普通の人間では考えられない型破りなバックグラウンドがあるが故にヒーローの強敵として君臨するじゃないですか。

バイキンマンなんて生まれながらにバイキンなんだぜ?

そういう視点で見ると、今回のジョーカーは人間部分が濃すぎて底が見えちゃったというか、「実のパパママとか出してみたらジョーカーめっちゃ動揺するんちゃうか」みたいなチープな予想を立てちゃうわけですよ。

まあ、今後狂気が狂気を呼び、ジョーカーの混沌は無限に広がってゆく……みたいな展開もないではないと思うんですが、あの人間味のない顔でギャハギャハ笑って動じないジョーカーでいてほしくはありましたね。

(社会人的に)緊張感ありまくり問題

基本的に物語中後半になると、アーサーが順調にジョーカー化してきて、サクッと人を殺しそうで緊張感満点です。

その中でも飛びぬけて緊張MAXなのがマレー・フランクリン・ショーに出演するシーン。

ここでアーサーはついにマレーを殺害してしまうんですが、なんちゅーか、会社で部下が上司にブチ切れる瞬間に居合わせたような気まずさを味わいました。

最初は和やかな歓迎ムードで始まり、徐々に空気読めないアーサーは自分のギャグと持論を展開。最初は上手く受け流し笑いを取っていたマレーも、少しずつアーサーの舐めた態度に語気を強め始め、アーサーは更にそれを畳み掛ける……

そしてついにアーサーはマレーを銃でBANします。

↓そのシーンを見た瞬間の僕

悲鳴に包まれるスタジオ、逃げまどう観客とスタッフ。

どっかで見たこの光景。あ、先日の会議室だコレ。

もうね、まんまキレ芸のやり取りが上司と部下なの。

なんかね、あっちこっちの会社にジョーカー候補社員っておるんやなって。こあい

あの時ほどケツと背筋にキュッと力が入った瞬間はありません。さすがスリラー映画。

そして日常のスリリングは会議室に潜んでいた。ぶはは

圧倒的感情移入不足問題

「見どころ」の項で「人間、限界は各々にあって、アーサーを責める立場にはないんやで」みたいな客観的意見を述べましたが……

正直アーサーの異常行動に感情移入できーーーーん!!

なんかね、不幸な生い立ちとか、不幸な出来事とかいくつかは同情できるし、「あーそれは僕も落ち込んでまうわー」みたいなトコはあります。

でも、ジョーカーになるほどか?

精神病とか、発作的持病とか、社会的にハンデ背負ってるのもかなり大変。

出生の秘密とか、ママは実のママじゃなかったとか、その辺もスゲェヘビーだと思う。

でも、ジョーカーになるほどか?

マレーに小バカにされたのもムカつくわな。

せっかくあこがれの人に会えたと思ったのに。

でも、ジョーカーになるほどか?

日本来てみ? 「月曜から夜ふかし」とか見てると君みたいな人、たくさんおるぞ?

まだ「社会とブルース家にワイのパパママ殺されたわ」くらいの燃えるような復讐心をあおる理由でもないと、ちょっとジョー化ーには弱かったんじゃないかと思います。

まあでもこんな感じでサクッとジョーカーが生まれる社会も怖いっちゃ怖いので、この辺もスリラー映画としては成功なんでしょうか。

なんつーか、アーサーおつかれさん。

『ジョーカー』は万人受けするものではないが、スリラー映画としては傑作

主観丸出しの意見を言うと、この映画の評点は10点満点中6点ってところですね。

なんちゅーか、「映画は娯楽! 楽しみたい! カタルシス!」みたいな人はちょっときついかもしれません。

社会人的な視点で観ると、良い意味でも悪い意味でも印象に残る映画であることは間違いありません。

何回でもいうけど、マレー・フランクリン・ショー出演のシーンはマジでワキ汗すごかったわ

そんな話です。

エンド

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