「そんなことして何になるの?w」
あなたの身の回りにはこんなことを言う人がいますか?
僕ね、この言葉ほんま嫌いです。
もうね、どゎい嫌い。
まず「他人が一生懸命にやってることに口出すな」っていう話なんですけど、何よりも思うのは「何になるのか分からないなら馬鹿にすんな」ってことですよね。
自分の物差しで人を貶すこと……これは人間としてとても程度の低い者のやることです。ちょっと自己矛盾チックな発言だけど、わかってくれるよね?
かく言う僕も最近そういうことを言われたことがあります。
――以前、少しお世話になった人の家に呼ばれた時の出来事……
??「お前、何か仕事やってるの?」
ぼく「一応文章を書いてお金をもらう仕事をいくつかやってます。ライターというやつですね」
??「ああ? お前のくだらない文章なんかがお金をもらえるわけがないだろ!! 文章を書ける人間というのは私のように本をたくさん読んでる人間ができることなんだから!!」
ぼく「は、はあ……」
??「お前ら若い人間はどうせ本もくだらないヤツしか読んでないんだろ!? 『村上春なんとか』とか、あんな小学生でも書けるような本を!」
ぼく「あんなに売れてる人でも、まだまだでしたか……」
??「あんなのは時間の無駄! 読むなら芥川の作品でも読んできちんと勉強しなさい! お前が書く文章なんてただ周りが面白がって持ち上げてるだけですぐ消えちゃうんだから!」
ぼく「わかりました、もっと勉強します……」
??「『勉強します』じゃないよ! こんなの常識でしょ! ガミガミガミ!」
~以下無限ループ~
なんつーか、少しでもお世話になった人だから強く言い返したりできなかったんだけど「そこまで言う?」感がハンパなかった。
何よりここで「えぇ……」と思ったのはこの人が僕の文章を読んだことがないという事実。神かおめーはっつー話ですね
しかしあの有名な村上氏をディスるあたりを見ると僕の文章を見たところでその価値観はひっくり返らないと思います。
一言で言えば僕の文章は「くだらない」ってことです。ぎゃはは
まあそういう批判に対する僕の感情はどうでもいいんです。大事なのはその先
人が「くだらない」と言い捨てるものこそに価値があるんだってことです。
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人が一生懸命やらないこと=競合が少ない
「くだらない」と思うことについてですが、あなたはそんなことを一生懸命やろうと思いますか?
……思わないよねー!! だって「くだらないこと」だもんね
ということはよ!? その「くだらない」っていうことで人の関心を集めれば!? 自分がその分野のパイオニアになれるんじゃね……!?
それを顕著に示しているのはユーチューバーであり、ブロガーであり、どこに需要があるのか分からないギネス記録である。
それこそユーチューバーなんて「この動画……誰が得すんだろ?」みたいなものが再生数でミリオンを記録していたりと、本当によくわからない世界。
しかしそれはただ僕が「誰得やねん」と思っているだけで、ある年齢層、あるコミュニティ、ある視聴層には確かに受けているのだ。動画を作ろうと思えば日常的に人の役に立つ、専門性の高いHOW TOでも上げればいいのだが、如何せんその世界は競合相手も多く自身の個性も出にくく埋もれてしまう。
そんな中、誰の役にも立たないと思われる「これやってみた」系動画を上げて尚且つ自身のブランディングまで行うなんて、なんて賢いんだろう。今ではその成功例にあやかってマネっこした作品が氾濫しているが、それを最初に有名にした某ユーチューバーは偉大な人物だ。
このように、自分が何か新しいことをやろうとするときに、その実行基準を「くだらないこと」にシフトさせることは自分の可能性を大きく広げる手助けとなる。
「役に立つこと・大切なこと」というのは既に先人達が鉱脈を掘り尽くし、参入する隙が全くなかったりするからね。
世の中には役に立たないことが多い
結局はコレなんですよね。「人生は壮大な暇つぶし」なんちゅー言葉があるように、人間が生きていく上で本当に必要な要素ってあんまりないんです。
衣食住揃っていれば生きていくことはできますし、明日の生命を保障されない発展途上国の人間から言えば、さっき触れた「芥川作品を読むこと」すら「くだらないこと」です。これ極端な話やけど
そう考えると、世の中「くだらないこと」だらけなんだよね!
ディズニーランド? くだらねぇ!!
スポーツカー? くだらねぇ!!
映画鑑賞? くだらねぇ!!
なんつーか、ミニマリストの考え方を270度間違った方向にネジ曲げて5,6発ぶん殴ったような解釈ですね。
でもその「くだらないこと」が最高に楽しいわけです。ディズニーランド楽しいしスポーツカー欲しいし映画大好き!!
そう、先人たちも実は「くだらないこと」が大好きだったんです。たまたまそれらが自分にとって「くだらなくなくなった」だけで、最初はお戯れだったんです。
だから僕は今日も「くだらない」と思えることでもブログ記事にして共感を得られる人を一人でも多く探したいと思うし、そのおかげで生活できてることもまた事実です。
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一部の評価だけが自分の価値を決めるわけじゃない
新しいことをやって、それが少しずつ認知され始めた頃に必ずどこかで最初に述べたような「心ない一言」というのは投げかけられます。中には核心をついたものもありますが
しかしそういうことがあったとしても、自分の軸をブレさせないことが大切です。
このブログもちょいと見られる機会が多くなってきたのか、コメントなんかでキツイ一言を書かれることがちらほら出るようになってきました。
でも僕はそんなに辛くないです。書き込み見たら一瞬胸がキュッてなるけど、なんだかんだでその人も僕のブログ見てくれてるわけですよね。うれP
ネガコメにしろ何にしろ、それはその人の物差しで測った結果であって、絶対を示すものではありません。反対意見が多かったら、そらちょっと考え直した方が良いけど
そこで一部の人間が「くだらない」「ゴミ」と投げかけきても、自分に「価値がある」と言いきれる何かがあれば迷わずやってみてください。そしてそれは多ければ多いほど当たる確率が高くなります。
昔、某殺伐系SNSで自作のイラストを上げたりしてましたが、一度「お前の描いた絵なんかクソ以下の価値もない。そんな絵を描くお前自身はクソの中に紛れ込んだ大腸菌の鞭毛の切れ端よりも価値がない」みたいなことを書き込まれたことがあります。さすが殺伐系SNS、若干感動を覚えるほどの罵詈雑言だった
そんな僕ですが、一時期自作イラストのポストカードを露店で売ったりしてお小遣いを稼いだこともあります。一部ではメッタメタを通り越して人間の尊厳を握りつぶされるほど罵られてますが、また一部ではお金を出して買ってくれる方がいたのです。うれPPAPやわ
だからブログをやってる人はそのブログをとことん書いてほしいし、ユーチューバーならその動画スタイルを貫いてほしい。新しい事業を始めた人は納得のゆくまで続けてほしい。
やめる時は他人の意見じゃなく、自分が情熱を失った時!
……ということを考えていたらこのブログも1周年を迎えました。
そんな話です。
エンド
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